我慢はエゴ、わがままはエコ

今回の旅のお供はこの2冊でした

我慢の本当の意味は我が慢心であり、

自分に執着している状態です。

つまりエゴなのです。

そうではなく、私たちはわがままに生きましょう。

わがままは我欲そのもの(エゴ)と教えられましたが、これも間違いです。

エゴではなく、その逆のエコ、つまり

心にストレスをためないエコシステムそのものです。

わがままは我がまま(あるがまま)であり、その人の本質です。

本質を否定すると、その人から個性が消えます。個性が消えると、何のためにこの世に生まれて来たのか、わかりません。

本来の自然なあり方そのもの、それがわがままです。

では、どこまでのわがままが許されるのか?

その答えは、その場にいる人同士や生活の環境、あるいは職場の条件といったさまざまな要素で決定されますので、ここまでといった唯一絶対の答えは存在しません。

秋山さんの不食という生き方より

我慢して、執着の苦しいギューっとした状態で在りその苦しみのエネルギーに浸りながら自分から放つのか

あるがままで、安心、リラックスの状態で在りその喜びのエネルギーに浸りながら自分から放つのか

どちらが自分自身はもちろん、周りにも良いのか一目瞭然

いつも心が喜ぶ事を選択しよう

Dontfocusonthetimefocusonthetiming

byBashar

時間にフォーカスしないで、タイミングにフォーカスしてね。

昨日、高野山の金剛峰寺でお坊さんのお話を聞いてる時、日本で年間で破棄してる食べ物の量が、約800トンって聞いて、秋山さんの本でも読んだのが、日本で食べられるのに破棄してる食べ物の量が、世界で飢えでる人たちを補える分の2倍と言うのを見て、私たちは、いろんな面で、どんだけ壮大な無駄が好きやねん笑って、バランスを取りたくなりました

様な面で、一人一人の塵も積もれば山となるんだなあと。それが全員分になると、大きな山に。

逆に考えると、一人一人の塵も積もれば山となるの塵が、喜びのトキメク素敵な塵ならば、それが積もり山となり、みんな喜びの塵が積もれば、めっちゃ素敵な大きな山ができるやないかいと、しみじみ思ったのでした。

喜びの山大量生産計画

という事で、まずは自分から

自分のバランスがとれたら、全体のバランスもとれてくる。

わたしは全てで全てはわたしだから。

まずは自分を整えよう。いかに自分が自分自身で在るか

誰1人かける事なく全員が大切な存在なんだなあと。

目の前の現実は全て自分の内面の鏡だから、自分が中心に戻るための愛の材料って感じで、近くで話してる人の言葉でふと聞こえてきた事も、大きなメッセージな時が凄くある

100人の人がいたら100通りの生き方があるように、

100人の人がいたら100通りの感覚がある

自分をよく知り、自分らしさ100で生きよう

私の中で最近は白鳥哲さんと秋山弁護士がブームです

まだ全部読んでなくて、読むの楽しみだ

3/19にあった、麻農家さん、森美千代さん、礒さん、秋山さんがでたイベントで、秋山さん最後写真のスタイル(一番右)で登場して、あこの人好きだわ(そこでかよ)となったのでした

なんだか最近になって、自分があともう一体、分身できるか、時間軸がのびてほしいなあと思ったのでした

時間の超越の超越を意図して体感する事にトライしてみます

いろいろと興味ある事やってみたい事こうなったら良いなを自分で実験

人生は魂の壮大なお遊び、実験タイム楽しもう